プロフィール

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0スキル初心者がWebマーケティングを始めて1年で、副業月収10万円2年で20万円を目指しているサエです。
こちらのブログに来ていただきありがとうございます。

一緒にはじめて稼げるスキルを身につけましょう!!

まずは自己紹介。
1973年7月生まれ。現在19歳の娘と、猫2匹と暮らしいます。
高校卒業と同時に就職した会社に勤めて32年、そろそろ疲れと先が見えてきた、50歳です。

暗黒の幼少期

父は躁鬱、母は育児放棄

私は夜の商売(雀荘)をしている両親の元に産まれ、年子の兄と4人家族で暮らして来ました。
小学生から店の手伝で、掃除やお茶出しなどの接客、金勘定まで一人でやっていたので、麻雀打てます(笑)

父は躁鬱を抱えていたようで、感情の高ぶりが激しく、気分の良い時は甘やかし、悪い時は大きな声をあげ、物を壊し殴る蹴るの暴力。
物心ついた頃には父の暴力を受けていました。それに対してどうする事もできなかった母は私達と距離を置くことで父の機嫌を取り、育児放棄を。
そして歳の近い兄とはお互いのストレスの向け合いで、傷つけあっていました。
幼稚園にも行かされず、家に居ると父の暴力に合うので、近くの公園に行き一人で時間を過ごす幼少期。

育児放棄をされていたので、時間や曜日の感覚、言葉、数字、
本当に当たり前の事がわからない状態で、小学校へ。
まぁそれはイジメられるイジメられる。
なので、幼少期は家庭にも学校にも居場所がなく、ストレスだらけの子供でした。
頭も悪く、癇癪持ちで、非常識、生きる事が苦痛でたまらない私。
商売をしていた家計は不安定。でも、中学3年生の時たまたま通った塾の先生が教師を目指している大学生、アットホームな塾で、それはそれは親身になって私に寄り添ってくれました。小学生から中学生までイジメに会っていたため、高校は私の事を知っている人の居ない高校を選び、そこから高校デビュー。
人生の再スタートです。
その頃には親に暴力を振るわれる事も無くなり、兄は全寮制の高校に行ったので、会うこともなく、親とも距離を置いて、気ままにのんびり高校生活を送り、友達も出来て彼氏も出来て、なんて素敵で自由な人生。でも、心は不自由でした、幼少期の闇が常に付きまとい、親への怒り、自分への不満、世の中の不条理、頭の中ではどうする事もできない不満の言葉が常に渦巻いてます。
もう一人の自分、(チャッター)との会話が自分を困らせていたのです。
「アダルトチルドレン」
という言葉を知っていますか?
大人になれなかった子供ととらわれがちですが、子供時代に子供らしく振る舞えず、大人になることを急かされた子供の事です。
もし、機会があれば「チャッタ」や「アダルトチルドレン」
についても、いつかブログで書けたらとおまいます。

仕事の楽しさを知る

家を出て働くしかない

家を出て独り立ちしたかったので、高校卒業後は就職する事に決めていました。
企業の事務やオフィスではなく、現場の作業労働者に就活しました、その方が内定もらいやすかったんです。
時代はバブルが弾けだした頃で、就職氷河期を逃れ無事に内定をもらい、いざ会社員へ。
就職してはみたものの、最悪な幼少期を送っていたため、常識等がすっぽり抜けていました。
でも、それを先輩方が優しい対応で教えてくれました。
先輩は集団就職時代の人達、地方から出て今の場所で家庭を築き苦労をしていたので、とても優しかったです。
同僚や先輩、後輩に恵まれ、お給料ももらえる、仕事は大変だけどお金もらって好きな事をする、カラオケ行って、旅行、スキー、趣味に給料全部使って毎月過ごし、老後は退職金でももらって年金で生活すれば良いでしょうぐらいに20代の時は気楽に考えてました。

最愛の人との突然の別れ

34歳の短い人生

27歳で結婚、30歳で子供を授かり主人の実家に入り家も建て直し、順風満帆。
でも、それが崩れるのもあっという間。
主人が心臓の病気で突然34歳で亡くなったのです。
子供も義母も親戚一同泣き崩れ、私も泣きたくて泣きたくて、でも子供は3歳、親戚は集まってくる、その対応で泣くに泣けず、こんなに悲しい事があるのかと愕然としました。
主人の死が悲しくて、悲しくて。
でも死んだ人を悲しむぐらいなら、生きている人のために笑って楽しく生きようと決めて前向きに。
どんな不幸が訪れようと、会社や世間は待ってくれません、そこからはもう馬車馬のように働きました、子供を保育園に預け送り迎え、仕事、家事、育児、義母との折り合いも悪くなりギスギスする毎日。
そして、子供が小学生に上がるタイミングで家を出よう、子供と2人で生きて行こと決め小さいながら35年ローンで一軒家を購入。
人が亡くなったのなら保険金が?と思うかもしれませんが、30代で死亡する事前提に保険をかけているわけでもなく、死亡保険はローンの頭金にするぐらいでした。
なので今の私の保険は死亡保険を高めに設定しています。
新しい生活をスタートさせ、落ち着いた時にまた問題が・・・・

母の介護

都内に住んでいた72歳の母が痴呆症になり、地域担当の方から突然電話があって
「あなたのお母さんが痴呆症らしく、生活ができていないようです、引き取りに来て下さい。」
と、連絡があり、そこから介護のために、母の住んでいる地域と区役所、私の住んでいる地域を3時間かけて何往復もして、病院や介護施設を決めて引き取り、お金も精神も時間も4年間吸いとられました。
書けばキリが無いぐらいの大変さ。

痴呆症認定にはかなりの時間や労力が必要になり
お金もかかります。
認知症の間に大腸癌も発生させたため、人工弁を身体に装着。
更に介護は手厚くなります。
最後は大腸癌が悪化して、病院のベットで帰らぬ人となりました。
母は介護保険や税金、年金を納めていなかったので、住んでいた家の処分も含め負担は全部私。
子供の進学の為にと貯めていた300万円は底を尽き、保険等も解約しながらお金を用意し、それでも足りないので、300万円銀行から借りて、最後葬儀まで行う事ができました。

言葉の壁

仕事の指示が伝わらない

40代になってぶち当たったのは言葉の壁でした。

上司と部下の狭間の年齢になっていたのです。
上司の指示を明確に受け取り、部下を指導する。
言葉をうまく言語化できないので、なんとなく伝える、そうすると相手にうまく伝わらず仕事に支障が。
作業に対して明確な指導ができなかったのです
部下の気持ちも会社の理念も無視した指導になってしまう。
自分だけの仕事だったら何の問題も無いのに。
自分のいたらさに落ち込みました。

ここからは自分を成長させる為に時間を使いました。行き着いたのは「たった一人の熱狂」という幻冬舎社長「見城徹」さんの書いた本でした。
刺さった言葉は
「言葉の獲得は人生の獲得だ、言葉を獲得しろ」
でした。
なので本を読み、世間と交流するために色々な人のサロンにも入り、世の中の事が少しわかってきました。
言葉の獲得により、明確にな言葉で部下や上司に伝える事ができるようになり、責任は重いけど、チームのリーダーに抜擢され昇進して給料も上がりました!

メンヘラでアル中の彼氏

人の挫折を体感する

少し余裕の出てきた頃、友人の紹介で彼氏ができたのです。
お互い忙しく、月に数回会うぐらいの関係でしたが、久々に異性の方と付き合うのはとても楽しく、未来にもワクワクしていました。
が、コロナが発生し彼の会社は右肩下がり、倒産に追い込まれ破産管財人に、酒に溺れ、私に依存し、肝硬変で入院。
彼は生死をさ迷い、医者からは数年の余命を言い渡され、退院するにしても行き場が無く、寝たきりで介護が必要になったため、私が引き取ることに。
介護の甲斐あって、寝たきりから車椅子、生活に支障がないほどに歩行できるまで回復。
就職先を見つけ、さあこれからと思っても1ヶ月で辞める、友人に紹介された先も続かない。上手くいかないと酒に溺れるの繰り返し、ついに私にも限界が・・・
役所や病院、親戚の方に相談して半年かけて世帯を離し、今は精神病院に強制入院してもらいやっと解放されたのです。
付き合って半年、介護を2年、精神も肉体も家計もボロボロ・・・・
コロナが無かったらこのようなことになっていなかったでしょう、でも人は弱く一度つまずくと、起き上がるのに膨大な精神力が必要です、寄り添って励ましたら何とかなるなんて思っていた私は奢りを感じました。
40代半ばの彼はもう外の空気を吸うこともなく、病院で死を待つばかりになったのです。

とにかくお金が無い!

自分のために

母の介護で貯金を使い、子供は私立の高校行って、大学落ちて浪人生。
彼氏の生活費の負担して、家計は火の車。

会社での給料はこれ以上上がらないのに、生活費は2割増し。
あと10万円あったら・・・安定した10万円が欲しい。
これはもう副業で稼ぐしかない・・・でも何したら良いの??
今までずっと作業労働者とし働いていた私には何のスキルも無い・・・
(スキルのない自分に劣等感を感じていました)
そんな悩みを抱えていた時に、入っていたオンラインサロンでWebマーケティングスクールの募集があり、0→1を作るためにスクールに入ってWebマーケティングを学ぼうと思い、ポチッと申し込み。
家族のために、時間もお金も使ってきた、今度は自分のために時間もお金も使いたい。
新たな一歩が素敵な未来へつながるように進めたらと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

是非あなたも一緒にチャレンジして新しいスキルを獲得して行きましょう!